人の幸せってなんだろな~というのを考える機会があったので、豚児らの幸せについてちょっと考えてみました。主にお金持ちなあの子の…。
セルフキャラクター考察?です。苦手な方がいらっしゃいましたら申し訳ないです。
個人的にはこういうちょっと踏み込んだ考察というか設定みたいなのを読んだり考えたりするのは好きなんですけど(二次でも公式でも)、もし同じような方がいらっしゃれば暇つぶしの読み物にでもしていただければ嬉しいです!
※ゴーストの別モード等のネタバレがあります。
▼結構長いよ
幸せ…と考えて一番に思い浮かんだのはラロなんですけど、彼はユーザさん(彼の言う「君」)と一緒にいる限り絶対に幸せにはなれないだろうなと思いました。
というかこれはトーク書いてる時しょっちゅう考えることなんですけど、彼が口にする幸せってのはようするに満足のことなんですよね。「君と一緒だと幸せ」、「君が僕を愛してくれたら幸せ」、とかそういうの。
幸せと満足の違いってなんなの?と聞かれるとちょっと困ってしまうんですけど、つまり『君』といてもラロの根本的な部分の救済にはならない、というか。
じゃあ一体誰がラロを幸せにできるかなって話になるわけなんですが、色々考えてみてしっくりきたのは「母親」でした。
いつだったか言っていたTeaPartyの設定資料集を作るまで表に出さんどこうと思ってた設定なんですが(というか出す場所もタイミングもないし…)、ラロの母親は彼が幼い頃に父親のDVで感染症を患って亡くなっているので、彼はお母さんの愛情をほとんど受けられずに育ってきているんですよね。
兄弟もいないので家族愛というものを知らないし、男女間の恋愛に関しては一番身近で一番目にするお手本が両親(父親のDV)だったもんですから、ラロの考える「愛」の定義は相当歪んでいます。
だから、もしラロを母親目線で可愛がって叱って無償の愛を与えられる人が早い段階で、できればラロが『君』と出会う前に現れてくれたら本当の意味で幸せになれるかも、と考えました。
恋愛して救おうと思っても無理な気がします。どんなに一途に尽くしてもラロからしてみれば「こんなのが愛なわけがない」んですから、それだったら彼が知らない種類の愛で攻めまくった方が攻略難易度は低いです、笑
それからわたしの中で簡単に幸せになれない人がもう一人、大川せんせいです。
そもそも名前の由来が「おお、可哀相!」からきているので不幸度というか不憫度が知れますね、笑
ただし彼の場合はユーザさんと結ばれることで幸せになれるのであまり考察することはないかなって感じです。
名前も、今までは可哀相だったけどユーザちゃんと出会って可哀相じゃなくなる、「おお、可哀相じゃない」→「大川“いそうじゃない”」っつーわけで姓名判断と相談してアキヲ(あまり見ない・いそうじゃない名前)と名付けました。
ゴースト上で進行具合によっては幸せにはなる(結ばれる)ので一見簡単なように思えるんですけど、一応設定としてせんせいには女性に関するトラウマがあるので彼が誰かと恋愛関係になるためには相手の女性の方からガンガンアプローチしてもらうしかありませんでした。
せんせいはあの通り話しかけてもツンツンしてるし媚びてみても子ども扱いで相手にしてくれないし、教え子設定のユーザちゃんに対してはやっぱり子ども相手だからと割とデレることもあるけどきっと大人の女性だったらそうはいかないし、そういう意味ではユーザちゃん以外に大川せんせいにお似合いの女の子は存在しないんですよね。
つまるところユーザちゃんと結ばれることでしか幸せになれないわけですからそれはそれで難儀な人だなという感じがします。
反対に「幸せ」がわかりやすいのは執事と達磨職人でした。
執事は主人のお世話をすることが彼もしくは彼女にとって一番の喜びなので、女性ユーザさんに対しては結構独占欲とか執着を見せることもありますがたとえ結ばれなくてもそばにいられるだけで幸せなんじゃないかと思います。
達磨職人は凡人のくせに性癖がアレなせいで全うな(一般的な)幸せは手に入れられないと思うんですけど、今は家から離れられて好きなだけ達磨作って儲けた金で贅沢もできるので本人は幸せだな~とか思っている気がします。